ネット私刑の怖さ

あおのです。
中学一年生が殺害されるという痛ましい事件があり、被疑者として少年ら数名が逮捕されました。
事件とともに少年法に対する問題提起がメディアやネットなどでなされ、これはこれで大事な(そして重大な)問題です。
あおのは大学時代は刑事政策のゼミだったので、大変関心のある分野です。

しかし、これに関連して最も強い危惧感を覚えるのは、被疑者とされる少年の名前や顔写真、住所、家族に関する情報などを、敢えてインターネットに晒す「ネット私刑」が横行していることです。
これらのネットへの投稿は、「少年法は刑が軽く十分に裁かれない」「実名報道などがされず写真も出ない」「被害者が可哀想だ」などと言った意見の下、制裁を目的に故意的に、犯人の情報として個人情報を投稿しています。
あおのは、上記の社会における批判的な感情は否定しませんし、また否定すべきではないと思っています。
しかし、仮にこのような私刑を心の底からの憤りと正義感で行っているものだとしても(多くは違うと思いますが)、そのような行為が民事上または刑事上の責任を負うことを自覚しないままに安易な投稿に及んでいるものが多過ぎます。

あおのは、IT・インターネットに関わる法律問題に興味関心があり、これまでソフトウェア開発やネット販売、デジタル機器開発などの法的サポートに関与させていただきましたが、一方で、ネット上の誹謗中傷への対応なども行ってきました。
2ちゃんねるをはじめとした各種掲示板やブログサービス、SNSなどで行われる個人・中小企業への誹謗中傷に対し、投稿の削除と投稿者の特定、損害賠償・刑事告訴などの手続きを行ってきました。
これらの手続きは、きちんとした手順を踏んで迅速かつ適切に行うことで、投稿の削除はもちろん、投稿を行った人物がどこの誰なのかを特定することは容易になっています(特定ができれば、刑事告訴と損害賠償の請求は当然容易です)。
このあたりはプロバイダ責任制限法などが絡むのですが、詳細は別の機会に。

今回のネット私刑は、「犯人を特定した」とのどこの誰かも分からない人の、裏が取れてるかさえ確認できない情報をみて、これを拡散させようと投稿が繰り返されています。
そもそも、本件の犯人が未成年であれば、少年法がある以上(是非についての議論はさておき)少なくとも本人を特定できる形で報道することはできず、これは私人が不特定多数が閲覧できるネット上の投稿を行う場合も同様(ただし私人のネットいう点で報道とは違いがあります)、民事上及び刑事上の名誉毀損等で損害賠償または刑事訴追を受ける可能性があります。
ましてや、本件では、家族だとされる人の名前や顔写真なども晒されていますが、これは社会的な関心事である犯罪について国民に意義のある情報を伝えるという意味でも、家族に関する個別の情報は無関係であるといえます。
また、ネットにされされている個人は十名以上に及び、警察発表を前提にしても、無関係の第三者の情報までが誤ってされされているように推測されます。
このような状況からすれば、ネット私刑を行っている人々の投稿が権利侵害として手続きを採られた場合、投稿者が特定されて損害賠償請求がなされ、また名誉毀損として刑事告訴されることは、ネット私刑の被害者が行おうとすれば相当に可能性が生じます。

何よりの問題は、ネット私刑を行っている人々が、このような重大な責任を自らが負うことを無自覚に、そしてネット私刑で生じる第三者の重大なかつ取り返しのつかない権利侵害が生じることや、ネット私刑による冤罪被害者を生むことを意識せずに行っていることだと思います。
その多くは、心の底からの憤りや正義感に突き動かされたわけではなく、面白半分に、誰かもやっているから、ストレス解消のように行っているのです。
誰かの投稿があったから本当だと思った、コピペしただけ、リツイートしただけ、このような反論はこれまでの裁判例で全て排斥されています。

表現の自由は民主主義の根幹をなす重要な権利ですが、しかし表現には、特に第三者の権利侵害を生じる可能性がある場合には、当然責任が伴います。
民事上及び刑事上の責任を免れるにはそれ相応の理由を証明する必要がありますが、自らが調査して確かめた情報でもなく、ただネットの情報を引き写すだけで表現行為に及んだ場合には、なかなか責任は免れられません。
無自覚に、このような行為に及ぶことは他者に回復し難い傷を負わせるだけでなく、自身の社会的な立場をも失う、大変危険なことです。
ネット社会においては、このような当然の前提となるITリテラシーを育む必要があるように切に感じます。


弁護士 青野博晃